バレンタイン2020
私ははたと目を覚ました。妙に部屋に入る日光を眩しく思い時計を見ると、昼と言って差し支えない時間だった。 言い訳になるが、昨晩は仕事が山積みで、眠った時刻は最早覚えていないが、ほとんど夜明けだった気がする。 まずい。今日はバレンタインデーだ。チョコはひとつも用意できていない。 去年までは既製品とはいえ、きちんと全振り分用意していたのに、やらかしてしまった。 こうなった以上、急いで支度して買い物にいって、夕食の席にでも配るしかない。頭を抱えていると、障子越しの朝日に影が差した。
「主、おはようございます。そろそろ目を覚まされた頃合いかと、身拵えのお手伝いにまいりました」
声は今日の近侍の一期一振さんだった。自分の髪に触れると、くしゃ、と嫌な寝癖の感触がある。 こういうお手伝いの申し出は、普段なら自分でできると断るのだけど、支度がまったく出来てない以上、断るのも申し訳ない。 それに、一期さんはすごく器用なので、私が急いで慌てている時ほどお願いした方がいいくらいだ。
「おはようございます…。ちょうど今起きました」
「入らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうぞお願いします」
「失礼します」
障子を開けて入ってきた一期さんは、当然ながら身支度はきちんと済ませている。 上着はぬいで腕にかけて、手袋はワイシャツの胸ポケットに入っていたが、ネクタイをちゃんと締めている。 手にはお湯の入った木桶と手拭い。私の方はといえば、そりゃもう、寝巻にぐしゃぐしゃの髪で、たぶん顔もひどい。
「おやおや。昨夜はずいぶん頑張られたのですね」
「いやあもう…紙の上の戦いだったよ」
「お疲れ様でした。本日はお休みになられますか…と言いたいのですが、今日はお出掛けになるでしょう」
一期さんは湯気ののぼる木桶を置いて、手拭いを漬けて絞った。
「えっ?なんでわかったの?」
「さすがに、何十も菓子が主の部屋に保管してあれば、甘い香りがわかります。今年はしませんでしたので、支度がまだかと思いまして」
「うわあ…それ、みんなわかってるってことだよね?」
「皆、主がお忙しいことも、きちんとわかっておりますよ。さ、清めさせていただきます」
「お願いします…」
髪を暖かい手拭いで拭いて整えてもらい、顔を洗う頃にはすっかり目が覚めてきた。 いつもではないのだけど、こういう急いで出かける用事がある時や、気合を入れて起きないといけない時なんかは、一期さんは支度を手伝いに来てくれる。私は何も言ってないのに、だ。
「一期さんはすごいね、私が寝起きで何かしないといけない時とかいつもわかるんだ」
「近侍でない時でも主のご予定は把握していますので」
「すごい、社会人の鑑」
「それに、予定がなければ主は私の手伝いを断ってしまうでしょうから」
「そうだね、急いでる時とかすごく助かるし…」
そこまで言いかけて、何か引っかかるものを感じた。 まるで、断られたくないから、予定を把握して手伝いを申し出ているかのような言い方だ。 一期さんの目を見ても、蜂蜜色の瞳が嬉しそうに細められているだけだ。その手元は私の髪を櫛で丁寧に梳いている。
「お召し物についてしまいますから、先に化粧を済ませてしまいましょうか」
「え、あ、うん」
促されるまま、化粧までされてしまった。 一期さんは器用というか、兄弟が多いが故にお願いされることも様々だからか、何でもそつなくこなしてしまう。 初めて支度を手伝ってもらった時は、化粧は自分でしたのだけど、いつのまにか覚えてくれたようで、今では丸ごとお任せできるほど。
「主はそのままでも十分お可愛らしいですが、飾ると一層際立ちますな」
「やめてよ、恥ずかしいから」
「着物はどれになさいますか」
そう言ってよそ行きの入っているタンスを開けて見せてくれる。 下着は別にしているので開けられても問題がない、というより、一期さんが手伝ってくれるようになってから、開けていいように別にした。
「現代のデパートに行こうと思うから、洋装の方がいいかな」
デパートなら、当日ギリギリでもそれなりに良い質のチョコがあるだろう。 着物だと現代では動きにくいから、ワンピースにコートとか、シンプルにしよう。 こちらはいかがでしょう、と私の考えを読んだように一期さんは冬にいい色合いの、小花の柄のワンピースを手に取った。
「一期さんは、もしかして、妖怪の覚」
ワンピースを受け取り、着替え用の衝立の向こうに行くと、一期さんは後ろを向いてくれた。 肌着の入った小さなタンスもこちら側に置いてあるので、そのまま全部着替えてしまう。
「いや、あの物の怪はいかんですな、人を喰う上に逃げ足が早い。戦いづらくて敵わんのです」
「まさか会ったことが」
「冗談ですよ。主の視線の動きを見るのは剣先より容易です。お召し替えは済みましたかな」
「ん、終わりました」
衝立から戻ると、一期さんは化粧道具を片付けてくれていた。振り返って目が合えば、嬉しそうに蜂蜜色が細められる。
「ああ、やはりお似合いですな。私の主は本当にお可愛らしい」
手放しで褒められれば悪い気はしない。照れながらも笑って見せると、彼も傍に置いていた上着を手に取り羽織った。
「さて、参りましょうか」
「もしかして買い物も来てくれるの?」
「勿論です。護衛も要り用ですし、そもそもお一人で持ち切れる量ではないでしょう」
「そう、そう、なんだよね…実は去年は一人で大変だった」
何しろ、すべての刀剣男士がいるわけではない私の本丸でも、五十はとっくに超えているわけで、チョコは小さいものにしてもひたすら嵩張る。
「でしたら、今年は一つぶん、荷物を減らしてはいかがでしょう」
他に誰もいないのに、聞かれたら困る話のように、一期さんはかがんで私の耳元に囁くように話す。
「私のぶんはいりません。代わりに、この後昼食を外でご一緒させていただけましたら幸いです」
「もしかして、今日はそのためにわざわざ支度手伝いに来てくれたの?」
「役得ですな。主が急いでいる時はお手伝いを断らないのは分かっていましたし、急いでいる時ほどこの一期一振を重用なさっていることを皆承知ですから、私の一人勝ちです」
「一期さんって、本当に器用」
「主のためなら、刀は如何様にも変わります。さて、色良いお返事はいただけますかな」
「私が急いでいる時、一期さんの申し出は断らない、でしょ?」
「有り難き幸せです。では、参りましょう」
up:2020/02/25
バレンタインにtwitterで流したものです。